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皆さまこんにちは。
「ADPAニュースレター」2021年8月号(Vol.040)をお届けします。

今回のテーマは「心の中で生き続ける」です。

故人を思う気持ち

精霊流
8月16日は、お盆明け送り火の日でした。

その日私は仕事である地方都市に行きましたが、行く先々で卒塔婆を持って歩いている人の姿を何度も見かけました。

そのような伝統行事が廃れずに残っていることは、純粋に嬉しい気持ちになります。
霊の存在の有無については、ここでは扱わないこととして、故人を思う気持ちについて考えてみます。

大切な人を亡くして、「あの人は、私の心の中で生き続けています」という表現をよく聞くことがあります。
これは、ただ悲しみを紛らわせるための綺麗事でしょうか?

私は次の3つの観点で、「心の中で生き続ける」ということがあり得るだろう、と考えています。

思想が生きている

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「亡くなった人を尊敬していた」「その人の生き方や考え方、価値観などを尊重し、自分もその様に生きたいと思っていた」という場合、その人がいなくなっても私の人生に影響を与え続けます。

「こんな時あの人だったらどうするだろう?」
「こんなことをしていたら、あの人に叱られる」など、自分を正してくれたり、迷った時の指針となってくれます。

また、生前は意味が分からなかったことが後になって理解できたりすると、本人はそこに居なくても、その人の思想や哲学は生きて働いているということになります。

その人の生き方を継承し、さらに私が応用展開し発展させることができれば、その人のスピリットは生き続けることになります。

つまり、私の中でその人は生きているし、成長することもあり得るということです。

愛の中で生きている

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つぎに「愛する」ということについて考えてみます。

誰かを愛するとは、どういう状態をいうのでしょうか?「その人の容姿が好き」というのは愛でしょうか? 愛することの一部かもしれませんが、愛の本質でないことは皆さんもご存知の通りです。
「その人の笑顔が好き」という場合は、その人の内面が笑顔として表れているので、その人の性格や感性、精神性などに惹かれているということでしょう。

そもそも「好き」というのは、私が好むものであって、愛そのものではありません。本当に愛している存在は、私が好む状態でなくても大切に思い、愛おしく思い、自分が犠牲になってでも尽くしてあげたい、と思うのが愛ではないでしょうか?

誰かの幸せのために自分の命を捨てる、という最高の愛を描いた映画や小説に感動するのは、私達もそのような本物の愛を持っているからだと思います。

もし、そのように愛している人が亡くなってしまったら、その悲しみはいかばかりでしょうか。
逆に、そのように私を愛してくれた人が亡くなってしまったら、どうでしょうか。

悲しい気持ちは勿論ありますが、「相手の幸せを願う」ことが愛だとすれば、私が悲しんでいればその人も悲しい、私が幸せになることによって、その人も幸せになる、と考えることができます。

私を深く愛してくれた人が私の思いの中にいて、私が幸せを感じる度に、共に喜んでくれる、こういう感覚が愛の世界にはあるのだと思います。
正に、私の心の中で生き続けています。

共に願いを叶える

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大きな志を持って生きていた人が、その願いを果たせずに亡くなってしまった。

後に、その志に共鳴した人が意志を受け継いで、その願いを叶えていった。

偉業を成した人の伝記などでこのような話を聞くことがあります。
意志を受け継いだ人の原動力は何でしょうか?

恐らく先駆者の志、情熱、崇高な精神など、魂を揺さぶるような何かがあったに違いありません。

私の中にその人の強い意志があり、共に成し遂げて、その人の思いも晴らせてあげる、そういう感覚があるのかもしれません。

こういう形にも「心の中で生き続ける」存在があるのだと思います。

フランクルの妻への思い

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最後に、「夜と霧」で有名なビクトール・フランクルの言葉を紹介します。

彼は、ナチスの強制収容所から奇跡的に生還しました。逆境を生き延びることができた要因は、心に思い描いた最愛の妻と会話を交わし、彼女から慰められ、勇気づけられたからだと言われています。
”わたしはときおり空を仰いだ。分厚い黒雲の向こうに朝焼けが始まっていた。
今この瞬間、わたしの心はある人の面影に占められていた。
精神がこれほどいきいきと面影を想像するとは、以前のごくまっとうな生活では思いもよらなかった。
わたしは妻と語っているような気がした。妻が答えるのが聞こえ、微笑むのが見えた。まなざしでうながし、励ますのが見えた。
…そのとき、ある思いがわたしを貫いた。
…人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、私は理解したのだ。
…収容所に入れられ、なにかをして自己実現する道を絶たれるという、思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。わたしは生まれてはじめて、たちどころに理解した。”
文責:相澤雅夫
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