家族ぐるみで親くしていた友人が、数日前に亡くなりました。
亡くなったのは3人家族のご主人で、一人娘のお嬢さんはまだ成人式も迎えていない19歳です。
突然の出来事に、心の整理がつかないままこの記事を書いています。
残念なことに、親戚や友人知人を見送る機会が年々増えています。
そして、ここ数年参列した葬儀で感じる共通の違和感があります。
今までこの違和感の正体を深く考えてこなかったのですが、改めて言語化してみます。
葬儀で感じる違和感
「え、これで終わり?」
「この人の人生ってこんなものだったの?」
「この式が終わったら、皆それぞれ平常の生活に戻り、亡くなった人のことは忘れ去られてしまうのかなぁ」
…という感覚です。
もし故人が仕事仲間や親しい友人であれば、一緒に過ごした時間があり、同じ空間で体験したこと、共に味わった喜怒哀楽などの感情があるはずです。
その関係性が一方的に断ち切られるような感覚も、違和感の一部かもしれません。
そして、
「この人は何を大切に、何を目指して生きてきたんだろう」
「この人が残してきたものって何だろう」
「この出来事を本人はどう思っているんだろう」
「何に満足して、何が嬉しくて、何に感謝していたんだろう」
大袈裟に言うと、
「この死の意味は何だろう」
ということを、心のどこかで知りたいと思っているのかもしれません。
答えが見つからなくても、納得感が得られるものを持ち帰りたい。
そして何か受け継ぐものがあれば、それを受け止めて今後の私の人生を生きていく。
「え、これで終わり?」という違和感の中身が、こんなに深いものだとは思いませんでしたが、概ね合っている気がします。
葬儀で上映するムービー
私は、自分の葬儀の時に流すムービーを、生きているうちに自分で作っておこうと、密かに企画しています。
上記の違和感は、本人がどのように生きて来たのか、その意思や思いが十分に伝わらないために起こると考えるからです。
お世話になった人たちへのお礼から始まり、自分はこの様に生きて来ましたとか、成し遂げたいけど未だできていないこととか、大切な人に伝えたいメッセージなどを、直接自分の口で伝えることができます。
収録してから上映するまでに、しばらくは元気で過ごす時期が続くと思いますので、節目節目で内容を見直しアップデートすることで、人生のゴール(最期)を最高のものにするために、改めて生き方を見直し、生活の質を高めていける効果が期待できます。
残された遺族に対しても、私にとっても、とても意義のある取り組みだと感じています。
エンディングコーチング
今はそんなムービーを撮れる状況ではない、という声も聞こえてきそうです。
様々な課題・問題を抱えて、今は人生を振り返ったり、誰かに感謝の気持ちを述べるような気持ちになれない、という方も少なくないと思います。
そんな方にお勧めしたいのが「エンディングコーチング」です。
人生のエンディング(最期)を最高の状態で迎えるために、とても効果的なコーチングセッションです。
詳しくは「エンディングコーチング」というタイトルで近日中に記事をUPいたします。
お楽しみに。
「エンディングコーチング」に関する記事をUPいたしました。
https://adpa.site/life/death/ending-coaching/
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